「あなたは誰ですか?」ということ。
見出しなるものを、つけてみる。
人生で初めての、私のブログ。
が、公開の日記帳のようなものを書いたのは、これが初めてではない。
昔(数年前なのに!)、ガラケーが主流だったころ、仲のいい友人と趣味のサイトを作ろうと言う話になった。
機械に疎い私は、そのすべてを友人に任せ、日記の部分だけを担当することになった。果たしてそれは面倒くさがりな私の手によって三日坊主で終わったのだが、サイトの更新自体は友人がたまにやっていたように思う。
今は電子の海で、ぷかぷかと浮かんでいるに違いないそのサイトが、私の公開日記デビューだ。
その看板、怖い。
twitterやfacebookやインスタグラムをわが身のように扱える人たちを眺めるにつけ、
自分を公開すること、怖くないのかな、と思う。(こうありたい自分をネット上で作り上げ、現実で事実と異なってもそうあれかしと努力している人たちのことは、いったん考えないことにする)
もし私が、「キラキラJKの若社長を目指すブログ」と名乗ってしまえば、私は「女性であり、高校生であり、経営に興味と自信があり、なんか元気そうだな」と思われるだろう。
それが「TOEIC250点の俺が歩く、アメリカ縦断記」だったらどうだろう。
「趣味で稼ぐ~誰でもスキマ時間で月10万!○○メソッドの使い方」なら?
「ありのままで生きる☆愛と宇宙のゆるふわスピリチュアル♪♪」なら?
こんなに大げさじゃなくてもいい。ただプロフィールに「女性/男性。○○出身。年齢は何十代。趣味はこれこれ。こういうことをしてきました。こんなことを書きたいと思っています」と書きさえすれば、見た人(特に初めてサイトに来た人)は、その人にあらかたの見当をつけてしまうだろう。
別にそれが悪いわけじゃない。と思う。
私だってそうする。
でも、いざ自分が書く側に回ったとき、その看板は窮屈だ、と思う。
そしてその窮屈さと、伝わってしまう情報の多さに、得体のしれない怖さを感じる。
実際のところ。
でも、少なくとも私がとっているスタンスは(今のところ)日記だ。
プライベートなことを書き連ねるのに、中の人の基本情報がないことは、
読者にとって不自由でアンフェアな感じがする。……ということは分かる。
でもなぁ、という終わらない愚痴を呟きながら、ぐるぐると鯨は考えるのです。
多分、肚が決まったら、自己紹介的なページを作るのでしょう。
それまでは、この小さなヒヨコのページを読んでくださる親切な方々の、優しい心に甘えるのです。
それでは、今日もおやすみ。