私の寿命をのばした いくつかのもの。

 

わたしのじゅみょうをのばしたものが、みっつある。

 

1つは、従妹と、素晴らしいゆうじんたち。

 

長い間連絡をとっていなくても、

なんにも気にならない、

かならずまた会えば、もとのように話せると、

わくわくするような時間がすごせると確信させてくれる友人たち。

 

家族のように過ごしてきたいとこ。

きみは、あきれるだろうか。

泣くだろうか。

ただ、さみしそうな顔をするだけだろうか。

でも、それだけでも。

きみがいるだけで、私はつなぎとめられている。

 

2つは、芸人さん。

 

ゾンビのようになりながら、

強迫観念が如く液晶画面から娯楽をむさぼり、

どうにか意識を逸らそうと、

我に返るまいと必死だった、あの夜に。

落ち着きたくなくて、ずっと眠っていなくて、

しらじらする空にいっそう嫌悪感を募らせていた時に。

 

あなたたちがいた。

笑うことなんか一瞬の効果だと思っていた。

すべてをわすれて笑うことなんかないと、

よしんばあったとしても、意味がないと思っていた。

 

馬鹿みたいかもしれない。

ふざけているかもしれない。

その空間に、私は救われた。

数日ぶりに、お風呂にだって入れた。

思いだしてはクスクスと笑っていた。

 

「幸せな時間」をくれた。

それはなによりの薬効となった。

 

3っつに、有名無名のブログたち。

 

どん底の時に、同じ境遇の人を。

怒りを覚える時に、本当に世界を変えようとする人を。

 

ネットの海原から本当の人をみつけるのは手間だけれども、

みつけたときの喜びはそれに勝って余りある。

わたしはあなたたちから多くの物を受け取った。

そしていまでも、あなたたちの言葉が私を支えるときがある。

 

だから、言葉とは、

それを紡ぎ出すひとというものは、

本当に宝であり、魔法である。

その力が強大だからこそ、

私は恐れもするが、愛してもいる。

わたしが「ひと」であることを恨めずにいるのは、

それを気づかせてくれたあなたたちを忘れられないから。

 

 

以上の三つは、私を大いに励ました。

いくじのなさからロープを注文しあぐねている私を、

それから一時的にでも注意をそらし、

なんでもないようなことだとおもわせてくれた。

また、時に酷い気持ちを見つめることも、

それもまた良しと思わせてくれた。

 

わたしはまだまだ死に近いところに居る人間だけれども、

感謝をしたくなってしまったので、ここに書き記す。

 

だからどう、というわけでなく、

そこにあるのは、ただただこれらが、意図せず(そこにあるだけで)

わたしを救った【寿命をのばした】ということだけである。

 

出会えたことに感謝。

 

それでは、今日もおやすみ。