お礼と愛のかたち。

めっちゃひさしぶりだ。

生きてるけど。

 

自分の中に巣食う自己承認欲求お化けの封印を解かないため、

twitterやらfacebookやらその他有名なSNSはほとんどやっていない。

あれらはもう、「つぶやく」「日記を書く」「宣伝を打つ」以上の

意味を持ってしまって、本来の使い方は抹殺されていると感じる。

何より、言いたいことを言った結果貶められる可能性が上がる世界なんて、

現実と一緒だ。

それなら、一人でノートに書きなぐる方がよっぽどマシだろう。

それに、承認欲求お化けは、最悪の場合私を社会的・金銭的に殺す。

あれは、餓鬼だ。

飢えているのだ。

空腹のまま、飢餓の焦燥感のまま暴れまわり、なお足りないと叫び散らし、

すべてをぶち壊してしまう。

誰にでもある自己承認欲求だが、エスカレートしたそれはもはや妖怪だ。

夜に闇が失われてしばらく、心に巣食う様になった妖怪。

悪魔、といった方が適切かもしれない。

 

 

さて。

このブログを書いている、ということは、

それなりに精神が落ち込んでいる、という意味だ。

色々と言いたいことはあるけれど、今日は「お礼」について。

 

「ありがとう」ってどういう時に言いますか?

たいていの人が、「助けてもらったとき」じゃないかな、と思っています。

でも、それって

 

「○○さん、これ、頼んでも良い?」

「あぁ、もちろん」

   ↓

「この前のあれ、やっておいたよ」

「助かりました、ありがとうございます」

 

っていう流れが、自然と言うか、「ありがとう」という言葉に対して

適切なプロセスではありませんか?

つまり、「ありがとう」へのアプローチは、誰かからではなく、

自分から、何か頼みごとを持ちかける必要がある、という意味です。

 

というのも。

「なんで『ありがとう』って一言言わないの!」

と言われることが多いのです。

(言ってくれるだけ有り難いとか、叱られるうちが花、という話は、また今度)

それに対して「???」と思うのです。

 

「だって、頼んでないし」と。

 

言ってもないのにやってくれたのは、とても嬉しい。

でも、それは、頼んだことではないから、ボランティアだろう。

ボランティアをしておいて、「お礼は?」と言われても、と

ついつい、思ってしまうのです。

 

せめて、頼んでいなかったけれど気をまわしてやってくれた場合、その人は、

「アレ、やっておいたよ」と言ってほしい。

じゃないと、私は本当にわからない。

なんなら、私がやらずに、誰かにやってもらうことが、全人類共通の当然なのだと

勘違いしてしまう。

この方面のアンテナが、自分自身抜群に弱いことは自覚している。

ので、ハッキリ教えてほしい。

 

「やったことを『やったよ』なんて伝えるのは、なんか威張っているようで、自慢しているようで、恥ずかしい」と思うかもしれない。

そんな感じで、どうしても『やっておいたよ』の報告がしたくない人は、

お礼を期待しないでほしい。

少なくとも、私からは。

だって、いつのまにかやるべきことが、誰かの手によって終わってたら、

「誰だろう?ラッキー」ぐらいにしか捉えられないのだ。

(つくづく、怠惰と傲慢の権化だと思う)

そうして、時間がたってから「あの時、実はね……」と伝えられて、

はじめて申し訳なさと有り難さでパニックになりながら「ありがとう」と

告げられるのだから。

 

私は、頼んでないことをしてくれた人に対して、どう反応していいかわからない。

反応するタイミングもわからない。

そもそも気が付かないから反応できない。

 

塾の送り迎えも、

服を一緒に買いに行くのも、

慣れない書類を書くのも、

苦手な日程調整の管理も、

部屋の掃除も、

朝起こすのも、

 

私が、ここに産まれているのも。

 

私は何も頼んでない。

でも、いつのまにか、あなたがしてくれていたのだ。

「あなたのため」

「将来のため」

「常識を教えるため」

 

ああそうさ、私のために働いてくれてありがとう。

そのおかげで、私はその間、サボることができた。

 

どうして怒っているんだ?

「私だって暇じゃないのに、時間をとって助けてあげたの」。

それは、わざわざどうも。

でも、したくなかったら、しなければいいのに。

なんてったって、私はあなたに頼んでいない。

私の人生は、私のものだ。

あなたが手伝わなくて、私が困ったって、それは、私が困るだけだ。

あなたの責任ではない。

その困りから私が学ぶことも多かろう。

何も学ばないかもしれないが、それもまた私の人生だ。

あなたがどうこうできるものではないし、して良いと思っているならやめた方が良い。

 

「ありがとう」を言いたくない、と言っているわけではない。

「ありがとう」は、私が頼んだことをあなたが成し遂げ、それを知らせてくれた時に初めて発生するものだ、と言っているのだ。

 

「誰に育ててもらったと思ってるのよ」

「誰のためにお金を払ってると思ってるのよ」

 

なんて。

それって、私にどうしてほしいの?

 

まさか、「ありがとう」が欲しい訳じゃないでしょ。

嘘をつかないでよ。

 

ああ、『ごめんなさい』

 

それじゃ、今日もおやすみ。